さすがになにかを成さねばと

 脳細胞が死にそうだ。いろいろなことを諦めすぎた。いろいろなことを手放しすぎた。書くことも描くこともやめて、一日の半分を仕事に捧げ、もう半分で大きな同居人に甘えたり甘えられたりをする。考えることをやめてから、私の人生とても楽になったけれども、同時に、いろいろな神経が活用されないまま腐って消えてしまっている。わたしは「生活」を送るにはすごく適した、人間社会の歯車として正しい姿を手にれた代わりに、「私はこうありたいんだ!」「私はこれが好きなんだ!」と声高に叫ぶことができる若さと勢い、そしてその対象に注ぐ情熱を失った、抜け殻になってしまった。

 生きやすい。いろんなことを諦めて、何も考えず、一日のルーチンをこなし、同居人と瞬間瞬間の快楽を享受する生活は、頭を使わないから生きやすい。疲れないから生きやすい。

 でも、「生きやすい」だけが利点のこの生活は、私に何も齎さない。私は何も成長しない。焦って眺める本屋さんの棚にある本も、今は目が滑って仕方がない。劣化した脳はきちんとセンテンスごとに理解することすらできない。映画はどうだ、2時間3時間の長丁場を、登場人物を覚えストーリーを理解するという事務作業と、それに感動するという相反する作業をこなしきれる自信がない。資格の勉強でも、と思うが、まずどんな資格を取ったらいいのか分からない。なんとなく流すYouTubeで、なんとなく目に付いたユーチューバーの動画を流して、気を紛らわす。そして、そこで、終わり。

 せめて、書くことだけは。

 書くことだけは諦めずにいたい。今の時代は恵まれている。すべてのアプリは同一のアカウントで同期され、どんな端末を使っていたとしても、ついさっきまで違う端末で使用していたデータにアクセスできる。出先ではスマホからはてなを書けばいい、自宅ではパソコンからはてなを書けばいい、最悪、Wi-Fiに繋いだiPodからでさえ、書くことはできる。

 何かを遺そう。順当に行けば私より先に逝くだろう年上の夫へ、不慮の事故や大病であっけなく先を逝く私を見送ることになる夫へ、いつ、どんな形で、あなたはこのブログを読むことになるかは分からないが、付き合った頃毎月送っていた手紙を読んだ、その時のような気持ちで、このブログを読んでください。

 結婚した、その時から、私の人生はあなたのものであり、あなたが中心となっており、あなたに捧げた私の人生を、読んでください。