読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

記憶の庭

 今の私は、過去に出会い「うつくしい」と思った言葉を思い出しながら文章を綴ることしか出来ません。有限の記憶のなか、掘り返すことの出来る言葉はごく僅かで、その上「うつくしい」ものでなければ使えないのですから、綴ることの出来る文章も限られてしまいます。あらかた過去に仕込んできた「うつくしい」言葉を使い果たしてしまった今、新しく「うつくしい」と入ってくる言葉がないので、たいへん焦っています。

 大学を卒業するまでは、それなりに本も読んできました。身近に本があり、しかもすることといったら勉強くらいしかない環境では、読書家でなくとも人並みにページが進んだのです。今、私が「うつくしい」と愛でている言葉は、大体この頃までに出会った言葉たちです。

 しかし、卒業後、社会人として生活し始めてからは、生活の中心が仕事にすり替わり、本を読むことが極端に減ってしまいました。手持ちの本もおぼつかないし、かと言って身近に図書館があるわけではない。疲れているしまあいいやで過ごしてきた毎日は、誰でも書けるようなネットニュースばかりで溢れていました。

 そんな生活を送り始めて何年後、私はどうなってしまったのかというと、長文を見れば目が滑る、文章を書こうにもツイッターの140文字が限界、開いたブログは軒並み閉鎖という目も当てられない状態になってしまいました。なんとか現状を打破しようと、手当たり次第本でも読もうと思い立つも、そもそも自分がどんな本が読みたいのかすら分からなくなっている始末。これはもう、人間的に崖っぷちです。今こうして文章を書いていても、書きたいことは書けてはいますが、落とし所が全く分からず、どうやって締めようか悩んでいます。

 脳は使わないと退化してしまうということを、この年齢ながら身をもって実感いたしました。しかし!使いさえすれば脳はいつまでも活き活きした状態を保てるというのも事実。このブログを再び書き始めたのも、少しでもアウトプットという行為自体をスムーズに出来るようにトレーニングするためでもあります。つたない文章ではありますが、リハビリ中だからね……と生ぬるく見守って頂ければ幸いです。